柔肌

こちら時間の朝、父方の祖母が亡くなったという連絡がありました。私にとって四人の祖父母のとりを飾ったわけで、数えで九十の大往生でした。前日にあった、心臓の具合が急変し、来月の私たちの帰洛までは難しいかもしれない、というメールに危惧を覚えながらも、元看護婦の一病ならぬ二・三病息災の人でしたので、今までの経験上、また会えると思っていました。それも叶わず、残念なことでした。昨日書いて今日投函しようと思っていた葉書も、所在無く食卓の端にあるような次第です。
二十年ほど一緒に住んでいた終わりも近づいたころ、しばらく入浴の手伝いをしていました。彼女好みの良い加減の湯温にして、背中を流したり拭いたり、シップを貼ったり、冬なら風の通る家でしたのでお風呂ではなく体拭き、あつあつのお湯で絞ったタオルで体を清めるのを手伝ったことでした(ちょっとトウのたった家ならよくあるつくりで、脱衣所の前は外気がピューピューで寒いだけでは済まされない寒さですから)。
何年か入院していましたので、最近はその肌に触れていませんが、息を引き取ったという知らせを受けてから、祖母の柔肌や乳がんのために片方を切り取ってしまったお乳を思い出してます。同じ屋根の下で暮らした人を亡くすのは、こういうことなのかしら、と、二回目の経験を噛みしめています。
一人の生に幕が下りたこと、それとともに私にとっての一つの時代が終わり、区切りなのだなあ、と大きな感慨を抱いています。そして不祝儀にも地続きではないゆえにすぐに駆けつけることができないという情況に、やはり自分は異国に住んでいるのだ、と思い知らされたことでした。