アルメニアの大虐殺

Armenian Flag

町の名前を言うと、殆どの方がアルメニアンを連想されるほど、かの国からの移民が多い地域に住んでいます。アパートメントのオーナーもアルメニア人。男女ともに小柄で色白、美形な人が多く、最近はふとすれ違うだけで、「この人はアルメニア人」と大体見当がつくようになってきました。
先週末から、アルメニアの国旗を立てて走る車(多いときは4本も)をよく見かけ、一体何なのだろうといぶかっていました。今日、うまい具合に同じアパートメントのアルメニアのご婦人とばったり出会い、ここぞとばかりに尋ねましたら、91年前の4月24日にアルメニア人大虐殺があったことを告げられました。昨日もブッシュ大統領がこの事件を「悲劇」だと言及したそうですが、これはトルコ人、イギリス人、ドイツ人などが、食料も家もなく砂漠に逃げ出した何万人(?)ものアルメニア人を殺した、紛れもない「大虐殺」であるということ。仮にインターネットにアクセスしても、ただ一言「アルメニア人の大虐殺」と出るだけだから、より多くの人々にこの事実を知ってもらいたいが故に、国旗を立ててアピールしているのだ、と、広島への原爆投下にも触れながら、お話くださりました。
何も知らずに、祝日か何かですか?と無邪気に問うてしまった私に、全くお気を悪くされず、「最後は注目してくれてありがとう」と締めくくられたご婦人に言葉もなく、自分の無知を恥じ入るばかりでした。また機会があれば、お話を伺いたいものです。
画像はアルメニアの国旗です。「これらの三色はこの国の歴史とつながりがあり、色の解釈には諸説あるが、最も有名な説によると、赤は国を防衛したアルメニア人の血、オレンジは国民の労働による勇気、青は国土の自然を象徴しているという。この国旗は元々第一次大戦後の短い独立期間の国旗だったが、ソビエト連邦の崩壊による再独立によって再び使用されるようになった」。ウィキペディアより。
また、今日はJR事故からちょうど一年ですね。昨年の今日、婚礼の打ち合わせを一日かかって両家で済ませ、夕食をいただいているときに号外を持っている人からことの次第を伺ったことを思い出します。夜中まで何が起こったのかテレビに釘付けになっていました。改めて、事故で亡くなられた皆さまのご冥福をお祈りします。