番外・重森三玲邸庭園(無字庵庭園)

三玲書院から

東福寺方丈庭園など作庭家として名高い重森三玲邸を訪れました。かつては吉田神社の神官鈴鹿家の持ち物であったのを、手に入れた昭和18年から20年以上の歳月をかけて仕上げたという庭園と茶室好刻庵、お血筋の三明氏の解説でみっちり二時間堪能しました。
画家を目指して勉強していたという三玲は、不昧流の茶に親しんだり、前衛いけばなを唱えたりした後、独学で作庭を学んだといいます。上がらせていただいた書院は江戸中期の建物で、今でも堅牢なしっかりした建物。床前の天井が小さな格天井になっています。照明は親交があったというイサム・ノグチからの寄贈で、昨年訪ねた香川のノグチの旧居などへの縁は三玲が取り持ったものと知りました。もともと三玲が四国の石を使っていたそうで、その剛毅なかつモダンな石組みの中央にはかつてはかなりの樹齢の赤松が聳え立っていて、埋め込まれた巨石と共に鈴鹿家から引き継ぎ、この二つを中心に作庭したといいますが、残念ながら、赤松は三玲の没後、松喰い虫にやられてしまったとか。健在な頃の写真と比べると石組みの冴えがたって、一度見たら忘れられない景色となっているように思います。なお、見ていてワクワクする波型の飛び石などは丹波のものだそうです。

江戸中期からの建物と斬新な庭園の調和が美しい書院を出て、好刻庵でお茶をいただきました。こちらの茶室は今まで訪れたいずれとも違い、茶人三玲の面目躍如といったところ。入ってすぐ目に付くのは襖、欄間、それから照明。欄間の藤は吉田神社藤原氏に縁が深いことから三玲が下絵したもの。曲線が美しい照明も三玲が職人に指示をして作らせ、違い棚の瀟湘八景も書院の松の絵と同じく三玲の筆による見事なものでした。私たちが足を踏み入れた手前の十畳の茶室の奥にも一部屋あり、初釜などの折には広間で使用できるとか。釘隠しも清水で三玲が焼いたという四季のもので、その才能の多彩振りに瞠目しました。蹲の設えも創意工夫に満ち、その向こうに見える庭園を一番のご馳走にいただいた一服の味わい深かったこと。お主客用に黒天目、数茶碗は笹模様の青磁とさっぱりとしたものを選ばれていました。ともに中国雑器だという取り合わせ。お菓子のお豆もとても美味しくて、どちらのものかお尋ねすればよかったです。

今年はちょうど生誕110年記念ということで、秋には京都で本宅を解放した企画、東京の汐留でも展覧会が催されるそうです。三明氏もおっしゃっていたように、現場に身を置いてこそ感じる三玲のパワーに出会いに、是非お訪ねください。
この滞在中に図らずも、同時代人たる畠山一清と重森三玲の茶に関わる施設を訪れたことになります。昭和12年に白金台の地を得た実業家の畠山一清、わが道を邁進した芸術家重森三玲。故人である彼らから強靭な生きる力を与えられたようにも思いました。