ハーレム考

9日間とはいえ、ハーレムに暮らして感じたことを書いておこうと思います。NYではミッドタウンのホテル滞在ばかりでしたので、今までとは違う視点でこの大好きなNYを見る機会を与えてもらえたことは、本当にありがたいことでした。
危ない危ないといわれているハーレムは、黒人以外の人口が少しずつ増えているとはいえ、私にとっては確かに肌で違和感を覚える町でした。主に女一人で見知らぬ土地を歩くわけですから、緊張しない方がどうかしているでしょう。とはいえ、かつての中産階級が住んだ名残がある町並みを歩く時、心温まる挨拶を投げかけてくる人もおり、週末ともなると観光客がやってきて、少しのどかな空気が流れます。ゴスペルを聴いたLenoxの116丁目から125丁目の間には、新しいブティックXukuma(日本人デザイナーも参加しています)やカフェができており、ハーレムらしくない雰囲気が漂っています。

とはいっても、ハーレムはハーレムであり、また一方で自浄の力を持っていると思ったのは、不注意で道端に並べてあるCDを踏みつけてケースを破損してしまったときのこと。黒人の若者たちにわらわらと近寄られまくしたてられ、本当に怖かった。請求された弁償分を払い、探していたデリに飛び込んで一息ついていると、さっきの一群の中から二人、さっき払った3ドルを手にやってきて、弁償は必要ないからCDを返してくれといい、その交換が終わると、チップをくれと言って去っていきました。何だかよく分からないけれど、もうこれで一切のかたがついた、とほっとすると涙が出てきて、しばらく嗚咽が止まりませんでした。すると、その一部始終を見ていたのでしょう、デリの店主が近寄ってきてくれ、彼らを諌めてお金を戻してくれました。警察に報告する時は僕にも連絡しなさい、と言って、私が落ち着くまでずっとハグしてくれた彼の英語は相当に訛っていて、中近東あたりからの移民かもしれません。最後は彼らに絡まれないよう、心配して角まで送ってくれました。彼がいなければ、私のハーレムに対する悪感情はそのままだったことでしょう。
一言に黒人といっても、アフリカから奴隷として連れてこられた子孫、同じ奴隷でもジャマイカ、ハイチ、ドミニカ、トリニダード・ドバコなど西インド諸島に連れてこられた子孫が移民してきたケース、現代にアフリカから移民してきた者など一口では語れないようで、勉強不足の私にはよく分かりません。アメリカの抱える多層世界の一つの現実そしてコミュニティの文化を、短いながらも目の当たりにできたことは、大変貴重な経験でした。従姉が住むアパートメントの住人たちは、優しく、温かみを感じる人が多く、新しく生まれた赤ちゃんは、これから彼らに囲まれて健やかに育っていくことを願います。
ハーレムにて、私が過ごした9日間の記録は表面的なものにとどまってはいるとは思いますが、以下にアップしましたのでお目通しくださいますと幸いです。