イサム・ノグチ 宿命の越境者

イサム・ノグチ(上)――宿命の越境者 (講談社文庫)

イサム・ノグチ(上)――宿命の越境者 (講談社文庫)

イサム・ノグチ〈下〉―宿命の越境者

イサム・ノグチ〈下〉―宿命の越境者

イサム・ノグチの名前を知ったのは確か十代後半、Akariシリーズがきっかけだったと記憶しています。モダンな和に心惹かれ、日本名なのにカタカナ表記のデザイナーの名前が印象的でした。
2005年の五月に母と徳島のノグチ・イサム庭園美術館を訪ねたのを皮切りに、LAに越してきてからは全米日系人博物館でのイサム・ノグチ展リトル・トーキョーでの広場の彫刻京都の重森三玲邸での照明、NYでのメトロポリタンIsamu Noguchi Garden Museumの訪問など、折に触れて彼の作品に触れていたところ、ある御宅の本棚に本書を見つけました。そして、彼がLAで生まれ、その近辺で幼少時を過ごしたことなどを教えていただき、以前より身近な思いでページをめくりました。
1904(明治37)年、日本人の詩人を父にアメリカ人の母から私生児として生まれたノグチ。一生出自からなる孤独感にとらわれ、日米の狭間で翻弄されながら居場所を探し続けた生きた83年間が、慈愛に満ちた筆致で書き込まれています。上下巻とも、読みながら差し込む紙片がかつてない数になり本が膨れ上がってしまうほど、興味深い情報が詰まっており、第二次世界大戦中に望んでアリゾナの強制収用所に入所した逸話や、私が十代前半まで彼が生きており京都にも頻繁に訪れていたということは、衝撃的ですらありました。
アメリカ人の美術評論家によるとイサム・ノグチは彼の作風を確立しなかった、と指摘されているようですが、私にとってはいつも何かを訴えかけるような独特のオーラを放っている彼の彫刻は特別です。こつこつと、アメリカ、日本、ヨーロッパなどに散らばる残された足跡を訪ねて歩いてみたいものです。