唐代宮廷茶道の再現

唐茶

中国泡茶道篁峰会・会長 棚橋篁峰氏によるレクチャーと20年前に中国で発掘された茶器の写しを使った唐代茶のデモンストレーションは、非常に興味深いものでした。
世界中で茶というものの大元は中国にあり、5000年前に神農という農業の神が飲んだとされる伝説に始まり、2700年前には確かに野生のお茶を飲んだと思われる文献が残り、1800年前には好きなお茶をのむ習慣があったことを裏付ける文書があるほど、中国の茶の歴史は古いのだそうです。この時期より、茶が表す心の清らかな精神性が文化として発展し、唐代に茶聖といわれた陸羽により『茶経』が著されたといいます。この頃は団茶または餅茶という塊(brick tea / tea cake)を煮茶法によって喫していたのが、時代が下がるにつれて、明の第一代皇帝が薬研で挽く散茶への移行を命じ、更に宋代には石臼で挽くことにより細かい茶の粉末を得て、茶筅で点てる点茶法へと変わったのだとか。それを栄西が日本に持ち込み、村田珠光武野紹鴎千利休らの人々によって、今に伝わるという歴史の流れが雄大です。
デモンストレーションは、西安市から西に約20キロの地にある皇帝縁の法門寺で発掘された、銀製の豪華な茶器の写しを使って行われました。棚橋氏も皇帝のお召し物に着替えられて、雰囲気充分。団茶を炭火で炙り薬研のようなもので細かくし、紙に包んで冷ましてから篩いにかけて、お湯を沸かした中にまず塩を入れ、茶の粉を入れ、混ぜて出来上がり。ほんのりと塩味が効いた濃い目のお煎茶といった味わいでした。先に茶を喫し、その後にお菓子をいただくのが作法だそうです。今回の茶は福寿園さんのCHA研究センターで作られたのだとか。
その他、黒釉天目は宋代の闘茶(ばくち)における美しい白い泡を競うために考案されたものであるとか、陸羽の茶は、茶本来の味わいや品性を重んじるものであり、日本の茶道がこれを引き継いでいる、という棚橋氏のお考えも印象的でした。一年半ほど前に聞いた小川流家元小川後楽先生による売茶翁のレクチャーと重なる部分もあるでしょう、次の帰国時にはノートを探して復習したいと思います。
会場では、「harukoさんですか、ブログ読んでます」と突然にお声をかけてくださった方がいて、ビックリ。伺いますと、m-tamagoさんのところの読者でいらっしゃり、こちらにもお目通しいただいているとか。ありがたいことです。