社長の椅子が泣いている

社長の椅子が泣いている

社長の椅子が泣いている

私の初めての習い事は、幼稚園在園中のヤマハ音楽教室でした。ここでオルガンを習い、しばらくしてからピアノに鞍替えしてからもヤマハの先生でしたから、今でも実家にはヤマハのピアノがあります。このように私が音楽に触れ始めたころ、若くしてヤマハ社長となり実績を上げながらも、三年半で理不尽な旧勢力によって解任された河島博さんが主人公のノンフィクションです。
1951年に社会人となり、戦後の復興期から高度成長期を駆け抜け1990年代後半に引退するまでの姿は、死語となった「モーレツ」を髣髴とさせるものです。堅実な業務振りと裏腹な波乱万丈のサラリーマン人生の後半には、中内功さんに乞われダイエー入りし、私も聞いたことがあるV革を影から引っ張り、最後はリッカーの債権に力を尽くしたという経歴。日本経済の変遷を反映しているかのようでした。
彼の去った後、ヤマハは今も残り、ダイエーは再建され、リッカーは吸収合併され今は社名さえ残っていないにしても組織の欠片は残っているようです。私ごとながら跡形もなくなってしまった会社に勤めていた者としては、ある種羨ましくもあります。もちろん、心血を注いで一旦は経営を建て直した河島さんや周囲の方々の無念や、現場に残って再建にあたる人々の苦渋の日々があろうとは想像するのですが。
もし再び組織で働くことがあるとすれば、河島さんのような公正で誠実なリーダーシップに溢れる人を上司に持ちたいものだと思います。ヤマハ社長解任の後は「得意澹然 失意泰然」という言葉を座右の銘にしていたという逸話は身につまされます。しかし、波乱の中でベストを尽くされたその姿勢から、私が至ることができないであろう無心の境地に通じるものを持たれているのではないかとも思いました。