ビフテキと茶碗蒸し

ビフテキと茶碗蒸し―体験的日米文化比較論

ビフテキと茶碗蒸し―体験的日米文化比較論

料理の本かと思いきや、副題に「体験的日米文化比較論」とあるとおり、朝日新聞出身の著者が豊富な日米での体験をわかりやすく書いたもの。住んで一年半の私には見えていないアメリカの側面が、あちこちにありました。
一番腑に落ちたのは、Cultureという言葉に文化という意味とともに教養という意味があり、後者は欧米では自分の価値基準をもち、魅力的に意見を言えるということである、といったくだり。専業主婦で活動範囲が広くない私でも、何かの時に困った、と思うのは、英語力や振る舞い方もあるのでしょうが、結局はこの点に尽きると思います。そして菅谷さんが『メディア・リテラシー』で述べられていた日本語で言う批評とは違うCriticalな考え方。どちらも私に足りないものです。
それから、「欧米では、伏し目がちなのは、後ろめたさ、自信なさのあらわれとみられる危険がある。」という一文に面白さを感じました。お茶席で主客問答の時など、お正客の目を見るのは失礼に当たる、などといわれる考え方とは正反対で、実際にこちらに住み始めた頃は、見知らぬ人が目を合わせて笑顔で通り過ぎるというのに慣れなかったことを思い出します。
「たのしみは朝おきいでて昨日まで なりし花の咲ける見る時」で始まる和歌は、天皇皇后両陛下が訪米の折、クリントン大統領が歓迎の挨拶で引用したものだそうで、今までこの幕末の歌人橘曙覧もこのクリントン大統領の挨拶も知らなかった私は、恥ずかしい思いをしながら読みました。著者は、大統領がこの先人のように心のゆとりを持ったらどうですか、と忠告されたような気がしたと書いています。「たのしみは」は始まる和歌はシリーズものになっており、アメリカでは著書の紹介していたマンガ『ピーナツ』の「Happiness is …」が同様の考えを示しています。
私にとってこのブログを書くことは、子どもの頃に好きだったポリアンナよかった探しのように、自分なりの「たのしみは」を考えるゆとりの時間となり、また自己を見つめるよいツールなのだとも思いました。